2017年03月27日

巨星墜つ



3度の飯(以下略)の数少ない(?)応援者の一人にして、
我輩の唯一神である父上が3月20日他界しました。

昭和22年生まれの暴君は69歳で生涯を終えたのです。

父上は5年前に肺癌の診断を受け、癌に侵された片肺を切り落としたものの、
結局他の部分にも癌が転移していて抗癌剤治療を実施。
しかしその抗癌剤の効果で何も食えなくなってしまい、
110kgの体重は70kg以下まで激減するぐらい衰弱。

衰弱したせいか癌は悪化する一方で、2年前にはもう諦めろと医者から見放される。
でも父上は300万円ぐらいする電気治療器を入手して癌に対抗。
抗癌剤を止めたので少しではあるけど飯も食えるようになりましたが、
片肺切り落とした身体では肺活量不足で動くこともままならず、
肉体的にはどんどん衰退していっておりました。

そして去年の夏休み、2年ぶりに父上を拝見したところ、
以前のような活力はなくなり、只の痩せこけた爺に成り果てていました。
飯もまともに食えなくなり、口数も少なくなっていたので、
「来年の70歳の誕生日まで持つだろうか?」という不安はありました。

13日には体調不良で入院しており、20日には退院予定だったという話でしたが、
母上から「お父さんが危ないみたいだから、覚悟しといてね」
メールが来たのは3月20日の昼過ぎ。
話によると退院予定日の20日に突然、容態が悪化したのだとか。

その頃、我輩は三男ヂャギの引っ越しの片づけに向かう最中。
3月25日に転勤が決まったので不要なものを処分するために動いていました。

三男と合流後「父上がヤバイらしいぞ」と言葉を交わすものの、
兄弟二人「あの父上がそう簡単に死ぬこたぁ無いだろう」と勝手な妄想。
とりあえずは目の前の案件を解決するのが先決ということで、
藤山ゴミ処理場に持っていくブツをまとめてリビドー号に突っ込みます。

その後、昼飯を食いに向かった先で何故か我輩の携帯ではなく、
三男の携帯に「お父さん、亡くなったから」と連絡が入り、
昼飯に何を食ったのかも思い出せないぐらいのショックを受ける兄弟二人。
「結局オレたち、父ちゃんの死に目に会えなかったか」

でも状況を鑑みると片付けを止めて湯布院に向かったとしても、
多分大分辺りで死の一報を聞くという羽目になるだけだったんで、
急いだところでどうしようもなかった、としか言いようがありません。
それでも居ても立ってもいられない三男は飯を食った後、直ぐ様父上の下に向かいました。

せめてもの救いは父上が他界するその週末、
次男が湯布院に遊びに来ていたので、
兄弟を代表して父上の最期を看取ってくれたということでした。


通夜は22日、葬式は23日に行うということで、
我輩一家は色々と準備を整えて21日に福岡に戻ることにしました。
父上が住んでいた場所は湯布院ですが、親戚や友人の大半は福岡ですし、
何よりもやはり、父上は本来福岡の人間ですからね。

21日の昼、福岡にたどり着き、昼飯にラーメンを食らうも替え玉する気が起こらず。
その後四男と共に父上が搬送された葬祭場に向かい、冷たくなった父上とご対面。
ばあちゃんの時と同じぐらい涙をこぼしながら取り乱して
泣き叫ぶかもしれんと思いはしたものの、意外と涙は出ず。

「父上が肺癌が発覚するまで吸っていたマイルドセブンの1mmの長いやつ、
いつの間にかメビウスって名前に代わったんだぜ」
と言いながら、
煙草を一箱、父上の前に置いて父上の枕元に座ります。
ココで父上が今まで吸った煙草、ピースの両切り⇒セブンスター
⇒キャスターマイルド⇒マイルドセブン100と全て揃えて置きたかったのですが、
とりあえず父上に会いたい一心だったんですかね、そういう余裕ありませんでした。

医者に見捨てられてからは我々子供の前では疲れた様子だったものの、
苦しい様子は全く見せなかった父上でしたが、
実のところは我慢をしていただけで、相当苦しかったようです。

とりあえず「やっと楽になれたと思って、静かに休んでくれ」と言いながら、
次の言葉を考えようとしますが、涙が止まらず言葉が出ません。
仕方がないので「父上も苦しかっただろうけどな、
傍から見ていたワシラも大分辛かったんだぜ」
と言いながら父上から離れます。

そしたら葬儀場の人から「布団を取り替えるので父上を持ち上げてくれ」と言われたんで、
持ち上げてみたところ随分軽くてすんなり持ち上がったのに驚愕。
あのデカさがビッグダディと言わんばかりの父上が・・・
大分衰弱していたのは目に見えて解っていたけど、改めてショックでした。

夕方に次男が来たのでその日は家族全員と共に実家に戻り、
次の日の昼に再び葬祭場に戻ることにしました。
父上の身柄は通夜を前に、棺桶に収められておりました。

「昔はこのサイズの棺桶だったら苦しくて仕方なかったろう」
何も語りかけてこない父上に冗談半分に話しかけるのですが、
逆を言えばレギュラーサイズの棺桶に収まってしまう程に
体型が変わり果てたという事実が悲しくて仕方がありません。
しかし身長はあまり減っていないので、棺桶の長さギリギリ。

その後通夜が終わり、葬儀場が準備した肉類がなくて味気のない晩飯を食いますが、
悲しさとか以前に食い物に味気がなさすぎて食が進みません。

だから父上がこよなく愛した平尾のテムジンの餃子を買ってきて、
「父上はテムジンに来ると必ず警察学校を抜け出して
ココの餃子を食いに来ていた話をしたよなぁ」と言いながら皆で餃子を食います。
勿論、父上の前にもこの思い出の餃子を置きました。

通夜の日の晩は母上と兄弟全員で葬儀場に泊まる事にしました。
葬儀会場に置かれた父上の棺桶を見つめながら色々考えていたら
以前父上から言われた遺言的発言を思い出しました。
「オレが死んだら、葬送行進曲を流してくれ」と言われていた事。

父上はクラシックが好きで、我輩もその影響を受けてクラシック好きなのですが、
「父上の言ってた葬送行進曲って、ベートーベンの交響曲第3番2楽章やったっけ?」
「それともメンデルスゾーンの“真夏の夜の夢(注:淫夢ではない)”の方やったか?」
どちらも父上が我輩に聞かせながら、葬式の時にかけろとのたまっていたのですが、
残念な事に葬儀場にはどっちのCDも置いていませんでした。

因みにコッチ(文章をクリック)がベートーベンの葬送行進曲。
ノンケの方々には“英雄”と言った方が解りやすいですかね。


そしてコチラがメンデルスゾーンの葬送行進曲。
結婚行進曲は有名ですが、コチラはマイナーですね。


仕方がないのでYouTubeで両方の音源探して我輩のスマホで流しながら、
「ごめん父上、出棺の時はコレ流せそうにないから、今この曲流すことで勘弁してくれ」
と言いながら棺桶の上にスマホを置きました。
そして曲を数回流しながら我輩、ココでようやく涙を流しました。

次の日、葬儀が終わり、棺桶に花や色々な品を納めて出棺。
勿論、供えていた煙草一箱も棺桶に収めました。
そして死に水の代わりに父上がこよなく愛したキャラバンコーヒーを与えます。

クラウンエステートの霊柩車に父上の棺桶を乗せ、
母上は助手席に乗り、遺影を持つ我輩は後部座席へ。
この時、この手の霊柩車に後部座席が一つだけある事を知り、驚愕。
でもね、このクラウンの後ろの席、横に棺が乗るから超狭いの。
そして我が家の近所にある火葬場へと向かいます。

死ぬ間際は痩せこけて随分細くなった父上でしたが、
焼かれて出てきた骨は随分太くてやっぱり父上でした。

そして骨になった父上を見つめながら、一つの時代の終わりを感じました。

父上が居なくなったことで、当然ながら悲しさとか空虚感とかはありますが、
肉体的な状態から何時かこの日が来るだろうという状況ではあったので、
「人が死ぬって、こういうもんだよな」と言うことにしときましょう。
色々考えると涙が溢れて、何もやる気が出なくなりますからね。
実際今の我輩、軽く抜け殻状態です。
モチベーションがなくなって暫くは何もしたくない感じです。

だから四十九日までは喪に服すということで
サバゲーはやらないことにします。

吉六会のエリア13でのゲームは開催しますが、
ヂゴンの巣のゲームは4月の間は休業します。  
Posted by 砥部良軍曹 at 01:24Comments(9)演説

2017年03月19日

認めたくないものだな、若さに負けたという事をw

3月に入った辺りにアンディ先輩から
「うちの息子と友達5名、ヂゴンの巣でゲームさせたいんだけど、どうかな?」と、
連絡が来たんで今月は鉄砲を撃つこともなく整地に励んでおりました。
というわけで今回のヂゴンの巣のサバゲー、我輩にとって3月初のゲームです。

昨晩雨降っていたんでどーなる事かと心配でしたが天候には恵まれ、
メンツも他に集まった同志や仲間を含めると合計16名の参加と相成りました。



こないだまでは条例的にはエアガンを扱ってはいけなかったよーな年齢の若人達。
中には鉄砲とゴーグルのみというまさに「サバゲーやってみます」な輩も居ます。
我輩の半分以下の年齢故に、勢いだけはありそうですがどれだけ活躍してくれるのか?
しかし彼らのような若い連中が来てくれると活気があってよろしい。



若者軍団はアンディ先輩を保護者として付け、
ご意見番にちゃ~様とRODAN氏を加えてチームを編成。

我輩チームは我輩の他にコマさん、リョウジ氏・・・って吉六会同志、少なっ!
しかしBUGのゲームの常連のペガサス様とガーナ君も居ます。



しかしガーナ君、のっけから愛銃のCYMA製AK74のトリガーがボッキリと破壊。
ハンドガンのみで参戦する羽目になります。
ああ、やっぱCYMAの電動ガンは亜鉛パーツ貧弱なんだねぇ。

ハンドガン1丁だから身軽に敵陣に接近したものの、
この近距離で出会ってしまったRODAN氏との撃ち合いに負け、糸冬了。



当初はベテラン集団に翻弄されていた若者軍団でしたが、
2戦ぐらいすると本来の牙をむき出して来ました。
父の戦闘DNAを受け継ぐ、アンディジュニアです。
油断していたら速攻で見つけられて速攻で破壊されました、我輩。



その後、何かもこもこした愛・地球博のマスコットキャラクターみたいなのも
ガンガン前進してきて面白い展開になってきます。



当初は「コレなら電動使わなくてもショットガンでイケるな!」と
豪語していたコマさんも想像以上に早く覚醒してきた
若者軍団のパワーに押され気味な感じになります。



キルハウスが全く未完成なのでピーマン職人殿からの提案で
1m×3の不気味な液体が入ったタンクの空を提供してもらいました。
早速、敵に回すと厄介なちゃ~様がバリケードとしての能力を確認中。
コレ、案外イケます。



いやーしかし、ガンラックがあるとマジで絵になりますねぇ。
戦場感というより、訓練場的雰囲気が漂ってきます。
しかしココで問題発生!
16名も参加しているとコレだけのガンラックじゃ足りない!



そーいえば以前購入したはずの謎肉祭り、何処に逝ったかな?
何故かキャンプ用道具ボックスの中に混入していたんですが、
容器の底を見ると消費期限3月6日と書いているし。

そして本日は風が強く、バーナーの火が煽られまくって、
なかなかお湯が沸かないという事態にも陥ります。
そろそろバーナー用の風よけ、買うしか無いかな?



昼過ぎ、ガーナ君とちゃ~様は仕事の都合で撤収。
代わりにやってきたのはクリ◯◯ス・コスッタ氏とセロリ姐さん。
コスッタ氏の手には開けて嬉しい秘密兵器。
氏曰く「コレは戦闘開始の合図が鳴ってから開けるものなのです(意味不明)」



午後からの戦闘はまず、電動ガン禁止戦から始まります。
三沢の鯖芸部でもヤッていた、電動以外の武器ならなんでも使えるゲーム。



当初はCA870を使用していたセロリ姐さんでしたが、
戦闘の展開が早いヂゴンの巣では遠距離射撃性能は無駄と判断し、
直ぐ様速射性のあるハンドガンに持ち替えます。



若者もハンドガン片手に若さでダッシュ、そして避けてかわして撃ちまくる!
まだ桜は咲いていないけれど。宮崎はもうすぐ春。
そろそろハンドガンもまともに動く季節の到来ですなぁ。



電動ガン禁止戦を1時間実施した後、
チーム編成を変更して再び通常ゲームへ戻ります。



「1人より2人がいいさ」はサンバルカンのエンディングの歌ですが、
先程まで単独飛行だったアンディジュニア、
バディで良いポイントに隠れ、敵を確実に仕留める作戦に出ます。
気のせいか射撃能力もさっきより上達しています。



黄色チームはバディで確実な攻撃を仕掛けてくるのに対し、
うちのチームは我輩を筆頭にワンマンプレイヤーが多いせいか、
毎回黄色チームにボロカスにされる展開が続きます。



敵の攻撃があまりにも激しいので、
腰を激しく動かしながら大地のパワーを吸収するプレイヤー続出。
いいねぇ、若いと腰の動きも半端ないねぇ。



うわ!謎の動物が出てきたぞ(迫真)
お金持ちがたまにこーいうペット、散歩させてますよね?



イイケツしてんなぁ。



終了時刻の16時が迫り、残り時間が中途半端になったんで、
コレまた鯖芸部ではお約束だったセンターフラッグ戦を実施。
真ん中の赤い三角がセンターフラッグ、コレを先に取った方が勝ち。

センターフラッグ戦の場合、先にフラッグに到達するか、
それともフラッグに群がる敵を粉砕するかで思考が分かれるのですが、
我輩に言わせれば先にフラッグ取りに行くのが強い!
この説に関してはヅイマー氏とG2によって既に実証されています。



そしてウチの赤チームは全員フラッグ奪取思考の持ち主だらけ。
狙い撃つ敵には目もくれず、全員がフラッグめがけて前進した結果、
フラッグ瞬殺でゲーム糸冬了。

あまりにもゲームが早く終わってしまうので、
フラッグ持ち帰り戦に変更してみたのですが、
先にフラッグに到達する⇒動きが早いのでそのままフラッグ持ち帰るという流れ
相手が慎重に攻撃しようとしたところで防げるはずもなし。

センターフラッグ戦は全て我輩を筆頭にバカばっかり
集まった赤チームの圧勝となり、
これもうわかんねぇななゲームセット。


いやーしかし、若い連中が来てくれるといつもと違う展開が楽しめて面白い!
サバゲー素人だから行動が読めないというのも刺激になります。
今回の参加をきっかけに若人軍団にもっとサバゲーにハマってもらえれば、
今後の宮崎のサバゲーももっと面白くなるだろうと期待と妄想中。
  

Posted by 砥部良軍曹 at 21:54Comments(3)サバイバルゲーム

2017年03月12日

ヂゴンの巣、改修工事



こないだのヂゴンの巣のサバゲーの時、ちょくちょくやってきたあの猫、
「我輩達が勝手に“金剛”という名前をつけた」と家族に話をしたところ、
息子から「あの猫は“藤崎さん”という名前なんだよ」と言われて愕然。
何で藤崎さんなのか理由は教えてくれなかった(多分適当)んですが、
電マ野郎様曰く「藤崎さんと逝ったらときメモだろ?」と。

というわけでこれからヂゴンの巣にサバゲーに来られるプレイヤー様方、
尻尾が灰色の馴れ馴れしい猫が擦り寄って来たら
首根っこを掴みながら「藤崎さん」と優しく声をかけてあげてください。



さて、吉六会同志は3月に入り、2回の週末を利用して、
吉六会戦闘訓練場であるヂゴンの巣の整地を実施しておりました。


前回のゲームでそれなりにゲームは楽しめたものの、
「やはりヂゴンの巣といえばキルハウスが無いとイカン!」という
同志からの意見が多数だったため、建築を決意。



「3月4日に整地を実施する!」とLINEで招集をかけたところ、、
久しぶりにしょん様が馳せ参じてくれました。
我輩が以前お会いしたのは義弟の結婚式の後、
楽々タイムに乳揉みに逝ったときなのでかれこれ4年ぶりぐらいです。

他の同志はまだ誰も来ていなかったんで
とりあえず2人でフィールド内の片付けをしていたのですが、
しょん様がチェーンソーを持参しているということで邪魔な木を切断!
コイツはぶつ切りにして椅子にすることにしました。



暫くするとキルハウスの材料であるビニールハウスのパイプを
トラックの荷台に乗せてピーマン職人登場。
どーでもいいけど、トラックの後ろにこうやってパイプが乗っていると
カチューシャ(旧ソ連軍のロケット砲)みたい。

以前建築したキルハウスは木製のため経年変化ですぐにボロくなるということで、
丈夫&頑丈な金属製のパイプで建築することにしたのです。



フィールド内に入り、パイプを仮置きしてどれぐらいの規模で作るかを決め、
サイズ合わせのためにパイプカット!
パイプ切断機はピーマン職人殿が持ってきましたが、
それを野外で使うための発電機はしょん様が持参。

いやいや、吉六会同志って色んな特技の面々、
そして色んなブツをお持ちの面々が沢山居るのね。



そして切断したパイプを建築予定地に並べながら
どのようにして組むかを検討していると・・・突然の雨!
誰だよ天に向かって潮吹かせているやつは!
間違いない、コレはイラ魔王&コ魔王の仕業だ。



しかしヂゴンの巣の休憩場にはパイプで枠組み作っているんで、
上にデカいブルーシート被せれば屋根が付けられるんですね。

唐突の雨が降ってもコレは便利、アレは便器。

ここで雨が止むのを待ちながらクランプがいくつ必要だとか、
どーせならお立ち台を作りたいよなとか話し合いをしていたのですが、
結局一時間ぐらい待っても雨は強くなる一方、
そして藤崎さんはスカルガンナー氏に擦り寄りっぱなし。



結局この日はヂゴンの巣から撤収し、新富町のジョイフルで再集合して、
我輩はミックスグリル(単品)とポテト大盛り(ご飯の代わり)を食らって、
他の同志はクッソむさ苦しい野郎であるにも関わらず
ランチの後は何のためらいもなくデザートまで喰らいやがって糸冬了。



そして本日12日、再び同志一同に招集をかけたところ、
年寄りばかりが集まってヂゴンの巣の整地を実施。

「まずは今日の作業用の台として使うためにテーブルを先に作ろう!」
「テーブルは今後も必要になるだろ、パットン氏のお仕置き用としてもな!(断言)」
電マ野郎様が提案したのでまずはテーブル制作を実施。

テーブルの天板の材料はラウンジャー提督が持参したものを使い、
足や枠組みは以前から転がっている角材を使用。
材料をチェーンソーでザクザク切断、電動ドライバーでネジを打ち込んで速攻で完成。
ところで数年前から転がっていたあの角材、誰が持ってきたのやら?



八戸のエリア52やタイトロープでは銃口管理の一環として、
(要するに、テーブル等に置いた銃が暴発して事故になるのを防ぐため)
武器はガンラックに置くようになっていたので、
ヂゴンの巣でも事故防止の一環としてガンラックを置くことにしました。



参加者はココにエアガンを置いてもらうことにします。
ガンラックがあるだけでサバゲーフィールドって雰囲気が出たよ~な気がします。
いや本当はテーブルの上にデカいエモノを置かれる事で、
テーブル上の使用面積が狭くなるのがイラッとするだけなんですがね。



スカルガンナー氏と電マ野郎様がニヤニヤしながらガンラック制作している最中、
ピーマン職人殿とラウンジャー提督、しょん様は休憩場の屋根の改修。

もう少しパイプを増やして骨組みをしっかりと作り、
角度も計算して雨風に耐えられるように作り変え、
ブルーシートを乗せてもびくともしないようにします。
今後は屋根を常に設置する予定。



昼飯前ぐらいに藤崎さんがやってきて作業の邪魔をするので、
息子をテレパシーで召喚して藤崎さんを押さえつけてもらいます。



作業はサバゲーよりも体力を消耗するので腹が減るのが早い!
というわけで12時になる前に作業中断して昼食準備です。
同志一同、己が所持するキャンプ用のシングルバーナーを持ち出して、
カップラーメンとコーヒーのための湯を沸かします。
勿論、先程作ったテーブル大活躍!



この泥棒猫!オレの飯食うな!
油断していなくても藤崎さん、油断できないやつです。
そんな藤崎さんに会いたいだけの人もヂゴンの巣はお待ちしております。
逆に猫が嫌いな人はヂゴンの巣、オススメ出来ません。



立ちション?いやいや、カップ焼きそばのお湯を捨てているところです。



藤崎さん、焼きそばで釣れるかな?おおう、釣れた釣れた。
ところで猫にカップ焼きそば食わせてもいいんでしょうかね?
まあ本人、いや、本猫が食いたいっていうんだから食わせますけどね。



昼飯終了後はパットン氏を改造手術出来るサイズのテーブル制作。
そして防腐剤を塗って耐久性を高め・・・おいこの野郎!邪魔すんな!
どうやら藤崎さんはスカルガンナー氏が一番お好みの模様。
ああ、どーせならメス猫よりは人間のメスが寄って来る方が嬉しいんだがなぁ(迫真)。



一方、キルハウス制作の方はサイズ合わせに神経を費やし、
ざっくりとした組み立てまでは出来たものの、作業は難航。
連結の角度を検討したり、パイプの強度を考えたり、
長さを合わせたりと懸念事項が満載です。



結局、ざっくりとした骨組みだけ建てて本日の作業は糸冬了。
この骨組みをベースにブルーシート等で周囲を囲みました。

この先、ドアや窓が欲しい部分には木枠を取り付けて設置し、
建物っぽく仕上げればいいかなと妄想しているところ。



吉六会同志の夢と妄想は大分盛り上がりましたが、
作業の方は難航し、現実の厳しさを大いに知らされた一日。
しかし本日の作業に参加した吉六会同志の顔には満足げな表情が浮かべられ、
我輩としても素晴らしき同志の協力する姿が頼もしく思えました。



休憩場はテーブルを設置したことによって
吉六会野営訓練が出来るレベルにはなりましたし、
ガンラックも作ったんでサバゲーフィールドらしさは醸し出せた気がしますし、
他のプレイヤーが遊びに来ても恥ずかしくない状態ではあると自負しております。



志半ばに去っていった同志達のモニュメントも作成。
将来、ココをポケストップにするのが我輩の野望。
誰得?俺得。



トイレも簡易的なものではありますがまあいい感じに作ったし、
後は駐車場問題をどーにか解消できればいいかなーと妄想しているところです。
どっかから砂利、大量に手に入らないかなぁ?  

Posted by 砥部良軍曹 at 22:02Comments(2)ヂゴンの巣

2017年03月05日

やっぱり、青森の方が楽しかった?

どーも、電源ユニット(中古)を交換したにも関わらず、
相変わらず電源が落ちまくる我輩専用牛パソコンに嫌気が差し、
ついでにブログをアップする気も起こらない砥部良軍曹です。
いや一応、クソガキ共のDynaBook(←ココ笑うところ)はあるんだけどね、
ノートパソコンって何か使いにくいんですよねぇ。

宮崎に戻って半年が経ち、色々なところにも出掛けましたが、
逝く場所の大半は昔から宮崎で有名なところが多く、
ブログの記事にしても真新しさがない内容になるのは目に見えて解っているんで、
仕事で疲れた身体に鞭打ってわざわざアップする気にもなりません。

さて、宮崎での生活を繰り広げながら我輩が思うのは、
「青森県三沢市、結構いいとこだったよな」
いやお世辞でもネタでもなく、マジでそう思う。
三沢だけでなく、青森全体が結構いい場所だったと今更ながらに感じる毎日(迫真)。

以前住んでいた三沢市は宮崎で言うなら西都市ぐらいの街。
まあ八戸とか青森市、宮崎市や延岡、都城のよーなガチな街と比べると
娯楽とか店とかの選択肢は少ないですが、それなりに生活は可能。

特に我輩が以前住んでいた三沢市大町は中心街に
比較的近いローション、もとい、ロケーションだったんで、
チョット足を伸ばせばスーパーもドラッグストアもコンビニもある、
マックもファミレスもある、宝寿しも錦寿司もある、
ニューみやきも餃子坊もある、かっぱ寿司もはま寿司もある。

そして三沢には中居酒店もスカイプラザミサワもある!
この2つは我輩の心を癒やしてくれる重要箇所でした。
あの店で謎物件を物色するのがささやかな楽しみだった。
そーいえばスカイプラザの輸入食材&ビールとかのところに居る
陽気で気さくなおばちゃん、元気にしてるかなぁ?

そして我輩的に三沢市の何が素敵だったかというと、飲み屋街が近かったこと。
市内で送別会とか忘年会とか突発的な飲み会やっても、
へべれけにさえならなければ歩いて帰ることが出来たんです。
まあへべれけになっても歩いて帰っていたんですがね、三沢なら。
“きざん”で職場の宴会やったときぐらいかな、遠いと感じた場所は。

今では飲み会があるとなると嫁と事前に相談して、
迎えに来てもらうかどうかしないと絶対にキッツい。
こないだの新年会なんか25km離れた宮崎市内でしたからね。
電車&タクシーで帰るとなると金銭的にも大変な事態です。

一番近い新富町の飲み屋街があるところからでも社宅からは結構な距離。
焼酎水割り飲みまくった後に8kmの道のりを歩いて帰る、
しかもその半分以上は坂道なんて想像しただけでもゲロが出そう。
該当もない道をヘロヘロ歩いて帰った日にゃあ、クルマに跳ねられてもおかしくない。

本当に、今住んでいる新富町は周囲にガチで何にも無くて、
一番近い店といえば3kmぐらい離れている場所にあるローソン。
(本当は1km圏内に岩本商店って店あるんだけど、
息子曰く「どう見ても沼田商店の方が強い(意味不明)」)

三沢に住んでいた頃は社宅から歩いていける場所にマックスバリュあったけど、
今の社宅から一番近いスーパー(うめこうじ)はクルマで5分以上、
しかも帰りにはハードな坂道のおまけ付き。
一回シャレでチャリ漕いで逝ってみましたけどね、
逝きは10分程度で到着したけど、帰りは30分近くかかってしまったw
敷島の脇の坂道、アレは凶悪です。

今住んでいる場所を三沢市内で例えるなら、
何とか川目とか、東北町に近いところみたいな場所です。

何しろ、小学校のクラスがひとクラスしか無いですからねw
多分中学校もひとクラスしか無いんだろうな。
ヘタしたら保育園から中学校までずっとクラスが一緒になる子もいるんだろう。

なら少し足を伸ばして市内にイケば何でもあるんじゃねって思うでしょ?
ぶっちゃけ、八戸や青森市の方が強い(小並感)。
買い物といえばとりあえずイオン、この姿勢に関しては青森でも同じでした。
でも八戸ならヨーカドーという選択肢もあったけど、コッチはイオン一択。

そして何が悲しくなったかって、宮崎のイオンのスポーツオーソリティがショボいの。
キャンプ用品売り場もチャリンコ売り場も下田のイオンのほうが良かった。
余談ですが宮崎のスポオソ、キャノンデール取り扱っていないのね。

そーいや宮崎のイオンって、下田イオンよりおもちゃ売り場がショボいのも残念。
ビレッジバンガードも狭くて品揃え少ないのよ。
クリスマスのプレゼント買いに行った時もブツが置いていなくて、
結局更に向こうの南宮崎にあるトイザらスに足を伸ばすハメになる体たらく。
リビドー号は燃費が悪いんで、大変だよ全く。
因みにコッチのガソリンのお値段、現時点で128円ぐらいです。

普段の生活も結構苦労するというか、無いものばかりなんですが、
娯楽的なものも少ないのが宮崎の悲しいところ。
うちから一番近いゲーセンは多分、20km以上離れたイオン宮崎。
(西都のPAOにも一応ゲーセンあるけど、妖怪なんちゃらのは置いていない)
三沢ならチャリでいける距離にビードルプラザがあったのにねぇ・・・
ぶっちゃけ、パチンコ屋なんて要らねぇんだよ。

レンタルDVDは坂を降りて下界に逝かないと無いですが、
三沢のゲオと違って旧作100円だから良しとしましょう。
しかし我輩が今一番見たい勇者ヨシヒコは常に貸出中。

食い物屋さんに関しては結構充実している宮崎ですが、
ウチの周囲にはあまり選択肢がありません。

でもクルマで30分ぐらい走って大島通線にイケば、
全国チェーンの飲食店にたどり着くのは可能ですから良しとします。
でもコッチのはま寿司とくら寿司で寿司食ったけど、
どー考えても八戸のはま&くらの方が旨い気がするんだよなぁ・・・

宮崎市内には“寿司虎”という100円じゃないけど
毎日大盛況の回転寿司屋があるんですが、
同期のゴリラ君曰く“三沢で寿司食ったら、あの店には逝く気がしねぇ”との事。
やはり海産物は青森の方が強い模様です。

そーいえば寿司といえば、八食センター的な場所がないっていうのも寂しいね。
ジモッティな人たちは「八食はモノが高い!」と言っておりましたが、
少なくとも宮崎で同じよ~なもの買うよりは安いし、
アレだけ充実した食材買う場所って案外無いんですよ。
シマワキ水産の太めなおばちゃんと元気のいいおじちゃん、元気かなぁ?

更にもう一つ思い出したんですが、コッチの道の駅って案外ショボい。
青森に嫁の両親や義弟が来た時に十和田や七戸の道の駅の
充実ぶりに意味不明なぐらいに感動していたんですが、
宮崎に戻って道の駅に入ったらなんか物足りないのね。

青森に居た頃は道の駅までドライブってよくやっていたんですが、
コッチに帰ってからはそ~いうのやらなくなりました。

とりあえず適当に青森と宮崎の違いを羅列しますかね。

デカいショッピングモール
青森:イオンあり、ヨーカドーあり、マエダモールあり、ELMもある
宮崎:イオンと宮交シティぐらいかな?

温泉
青森:大抵何処にでもあるし、選択肢も多彩
宮崎:一つの街に1件、しかも入浴料500円以上

動物園
青森:無いだろ?
宮崎:フェニックス自然動物園がある!

水族館
青森:浅虫水族館がある
宮崎:別府or鹿児島まで逝かないと無い

風俗
青森:絶望的なぐらいに無い
宮崎:乳揉める店から抜ける店まで多彩、但し我輩には金が無いw

エロDVD屋さん
青森:東京書店ぐらいしか見たことがねぇ
宮崎:結構何処其処にあるんだなコレが

ポケストップ
青森:三沢市内は結構多かった、青森市内は街の割に微妙だった
宮崎:宮崎市内にイケばある、今住んでいる新富町は絶望的

ガンショップ
青森:ミウラ電波模型と工藤模型ぐらいか?パーツのみの供給は難
宮崎:JOKER一択、但しパーツ類がそこそこ売っている

悩みどころ
青森:地鶏とマンハッタンが売っていない
宮崎:せんべい汁用のせんべいが売っていない

結局、アレだけ恋い焦がれて待ちわびた宮崎帰還でしたが、
良くなったのはラーメン事情とサバゲー環境ぐらいです。

でもコッチには二郎系ラーメン、無いんですよねぇ。
新富の日高商店には置いているけど、なんか違うんだよなアレ。

サバゲー環境に関して良くなったとは書きましたが、
嘗ての同志プラスアルファとともにまた楽しくサバゲー出来ていると言うだけで、
新規の有料フィールドはまだエリア13しか開拓していないですし、
アッチに居た時と違って職場にサバゲーするっていう後輩とか全く存在しないので、
本当にサバゲー的な充実があるのかと言われると微妙なんですねぇ。

そーいや我輩、宮崎に戻ってからキャンプに逝ってねぇ。
でもね、外に蚊が居なくなったらキャンプしようと夏の期間に色々調べたんですがね、
芦野公園キャンプ場や小川原湖ふれあい村ほど充実したキャンプ場はない模様。
どうやらキャンプ環境に関しましても青森の方に軍配が上がるようです。

どうやら、まだ青森での楽しい思い出が脳裏にしっかりと焼き付いているんで、
宮崎よりは青森の方が楽しかったと美化されているだけなのかなと思ったんですが、
ざっくりと書き出しただけでも青森生活が結構充実していることが判明して、
「何で我輩、今ここにいるんだろ?」なーんて思う毎日なのです。
だがしかし、宮崎には我輩が昔から愛してやまないパン、
リョーユーパンのマンハッタンがあるんでそれで良しとしときます。
  
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Posted by 砥部良軍曹 at 22:29Comments(4)演説