2017年08月05日

変態どうでしょう 青森⇒宮崎リビドー号縦断2000km

我が家が宮崎に帰還して1年が経ちました。
ところで、我が家の青森を去り宮崎に帰還するまでの3泊4日の経緯、
どーせ誰からも反応がなさそうなので載せるつもりはなかったのではありますが、
我輩のブログなんて我輩のセ★ズリのよ~なもんだから
出せるもんは全部出してしまおうということで溜めていた分、ドバっと出します。

8月1日 青森⇒宮城 さらば青森よ、もう戻れない、もう帰れない
ダンボールが室内空間を占拠する風景を目の当たりにしながら
青森での6年4ヶ月の事を思い出すと言いたいところでありますが、
この場に及んでも未だ我輩、今日で青森を去るという自覚ゼロ。
なんか夢を見ているよ~な気がして仕方がありませんでした。

今になって思うと、やっと宮崎に帰ることが出来る悦びが感じられなかったのは、
宮崎まで戻るのに4日間をかけなければならないが故に
距離的、そして時間的な問題による現実味の遠さと、
「実は我輩、青森を宮崎以上に愛してしまった」という深層心理だったのかも(適当)。



引越し屋さんが来るのは昼。
荷物はある程度片付いているし残りは嫁が片付けるので、
とりあえず我輩はクソガキ共を連れて小学校に逝くことにします。
運良く双方の担任の先生は学校に居たので、別れの挨拶を実施。

でも何かクソガキ共、もうこの学校とはオサラバという実感が無いようで、
適当な世間話をして適当にお茶を濁して適当に別れをつけるという体たらく。



学校を出るやいなやクソガキ共が
「最後に・・・沼田商店で買い物がしたい」と抜かすので、
冥土の土産に買い物をさせてやりました。
ていうか先生はどーでもよくて沼田商店との別れは惜しいのかい?

何の変哲もねぇ駄菓子屋&文房具屋ですが、
クソガキ共にとっては青森生活での良き思ひ出の場所。



なんかメッチャ昭和風味、ていうか何時から売れ残っているのかコレ?
ココで我輩がお買い上げしねぇとコイツはこのまま朽ち果てるのみと思い、
何も考えずに衝動買してしまいました。



暫くするとバカ息子の彼女?が遊びに来たので、
最後の戯れをさせてやります。

息子とは言え、こういうリア充なところを見せられると少しイラッとしますが、
お互いの別れは随分ドライな感じでしたし、
息子自体も「どーせ暫くしたらオレのことなんか忘れるさ」とかなり投げ槍でした。
ま、確かにそーかもしれんがね。



そして昼に上戸彩の引越し屋さんがJRコンテナを搭載したトラックでやってきて、
ようやく我輩、宮崎に戻るという現実を自覚するのであります。

結局嫁の努力の甲斐あって、荷物はギリギリコンテナ一つに纏められ、
トドメは我輩の通勤用チャリ、ヂョニー・ライデン号を無理やりぶち込んで完了。
引越し代は21万円に押さえられて万々歳。



引越し屋が去った後、職場に社宅の鍵を返し、
お世話になった方々にサラッと挨拶をして社宅に戻ると、
アベノミクス一家とハルヲ一家、みずぽちゃん一家が見送りに来ていました。

どーせなら三沢で1泊しても良かったんですが
あまり未練を残したくねぇのでとっととこの地を去ることにしたのですが、
今更ながら最後に青森屋に一泊しとけばよかったかなぁ。
そしてついでに、スカイプラザにも寄っとけばよかった。



ハルヲ息子、最後まで追跡するもリビドー号のスピードには叶わず。



夕方17時前、下田百石ICから我が家の宮崎を目指す旅が始まります。
さらば青森よ、でもまた遊びに戻ってくるぜ。



「最後に東北の道を走りたい」と抜かす嫁がハンドルを握り、
1日目の宿泊地である仙台市を目指します。
盛岡IC手前のスイカタンクも見納めですな。

しっかし岩手県、日本で2番めにデカい県という事実は認識しておりましたが、
実際走ってみると本当にデカいというか、縦に長いのね。
なかなか宮城にたどり着けずにちょっとイライラしました。



20時頃、ようやく宮城県突入。
金成SAにて晩飯に牛タン釜飯を喰らいます。
少しだけでも宮城の良さに触れた気がして嬉しい気分。



嫁はご当地グルメ?麻婆焼きそばだったっけ?を注文したんですが、
コレ、我輩も一時期よく作って食っていたぞ。結構旨いよね。

尚、娘は宮城よりも岩手の方が好みの模様。
盛岡冷麺を喰らいながら東北に別れを惜しみます。
やっぱ冷麺にはスイカだよな、スイカ。

街中は運転したくねぇと嫁がのたまうので晩飯後は我輩がハンドルを握り、
仙台ICで降りて仙台の市街地を目指して走っていたら、
国道沿いにデカくて目を引く、赤い派手な建物を発見。

両眼視力1.5の我輩の目で建物に書かれた文字を見てみると
「TENGA」と書かれているよーな気がするけど、まさかね~・・・・
って本当にテンガショップだし(驚愕)!!
この一件だけで、我輩は青森在住時に仙台に来なかったことを大後悔。
ていうかこの時寄ればよかったなテンガショップ。

余談ですが我輩にテンガの良さを教えてくれたのは、
忘れもしねぇ、宮城から転勤してきたバーチー君でした。



己の愚かさをひっそりと悔やみながら
この日の宿泊地である仙台のビジネスホテルを探すと、
コレが福岡のビジホ顔負けなぐらい込み入ったところに所在。
挙句の果てに駐車場が結構離れているというおまけ付き。

まあソレ以上にアレだったのは寝相の悪さでは定評のある息子と
ダブルベッドで寝るという状況だった事なんですが、
ツインの部屋で安いホテルなんてなかなか見つからないのよね。

この日は少し前に購入して取っておいた“どんべり”を飲みながら、
やはり事前に八食センターで購入してきたホタテの干物をかじり、
青森での楽しかった出来事を思い出しながら一夜を過ごしたのでした。




8月2日 宮城⇒静岡 ジェットコースターは砕けない
どーしてなのかは後で解ると思うけど、
次の目的地へ早く辿り着く為に直ぐ様仙台市内のホテルを去り、
足早に街中を抜けてICを目指したのですが、
仙台市内って結構キレイな街並みなのね。

こんなデカい並木がある道が街のど真ん中って何かステキ。
やはり仙台市内、1回は来ておくべきだったですな。



朝飯は高速に乗ってSAで、そしてまた牛タン。
だって仕方ないね、牛タン旨いんだもん。



息子が「朝飯の後はデザートだよな」とソフトクリームを所望したので
「息子よ、旅先ではご当地ソフトを食うのがその土地に対する礼儀だぞ」と言い、
宮城県民のソウルフードである“ずんだ(枝豆つぶした甘いやつ)”が
混入したソフトクリームを食わせたんですが、

残念な事にコレが結構美味しかった模様。ていうか意外と旨かった。



我輩が急いでいたその理由はココ、
羽生PAの鬼平江戸処に寄りたかったから。
高校時代、池波正太郎にハマった我輩には外せない場所。
鬼平犯科帳っぽい江戸チックな建物が並ぶ不思議なPAです。



勿論、昼飯はPA内にある“五鉄”で一本饂飩を食す!
でもね、一本饂飩は原作では五鉄じゃなくて、豊島屋なんだよな。
そしてコイツが出て来るお話のタイトルは“男色一本饂飩”(迫真)。

太さ2cmぐらい、長さ50cmはある饂飩は醤油味のタレが絡まり、
温泉卵とネギと共に味わうのですが
食感はうどんというより、すいとん或いはだご汁の兄弟。
コシがあるうどんと言うよりは餅食っている気分。



そしてもう一つ、ココで外せないのが五鉄名物“軍鶏鍋”。
鬼平の小説やドラマで必ず出てくるこのメニュウ、
自分で作ったこともあるぐらい恋い焦がれていたコイツを今、食す!



醤油味の汁で煮込まれた鶏肉とつくね、そして野菜類。
小説ではモツが入ると書かれているはずなのにモツ入っていねぇし、
江戸時代には存在しなかったはずの白菜が入っているのは興ざめでしたが、
素朴な味わいは安定の旨さと言っていいのかなと思ふ。

普段は卵かけご飯食わねぇ我輩ですが、
この鍋の汁や野菜と共に食すと結構美味しいんだね。

余談ですが“五鉄 軍鶏鍋 レシピ”でググると
我輩のもう一つのブログ“脂肪遊戯”が出てきます。
興味のある方は是非ともご覧あれ。



東北自動車道を抜けた後は中央自動車道に入って
東京は迂回して東名高速に入るつもりだったのですが、
この時リビドー号のハンドルを握っていたのは嫁。

そして嫁が何を血迷ったのか、ナビの言う事に従って進んでしまったのが運の尽き、
よりによって首都高速に突入して名物の大渋滞に巻き込まれてしまいました。
いやー、話には聞いていたけどマジで凄いのね首都高の渋滞。
久しぶりに嫁に対して殺意が芽生えてきましたよ。
「ケツに腐ったネギ突っ込んで死んでしまえ!」って叫んじゃったもん。



我輩の予定では15時前ぐらいには富士山の麓に到着して
富士五湖とか回りながら周辺観光するつもりだったのですが、
バカ嫁が首都高に入っがために結局到着は16時過ぎ。
いや嫁がバカなんじゃなくて、嫁にハンドルを任せた我輩がバカだった。

でも最大の目的地である“富士急ハイランド”
ココだけは絶対に、意地でも外すことが出来ません!
そろそろクソガキ共にも遊園地デビューをさせてやらないといけませんからね。



そして富士急ハイランドと言えば“FUJIYAMA”(確信)。
ビグ・ザムの全高レベルの高さ(80mぐらい)から落下したあげく
幾度となく捻りが入るという泣く子も叫ぶ日本を代表する絶叫マシーン。

正直な話、我輩はジェットコースターが大の苦手。
苦手すぎてこれまでの人生では三井グリーンランドで風神雷神しか乗ったことがねぇ。

だからぶっちゃけ、コイツには乗りたくなかったんですが、
嫁がウキウキしながら乗りたいと抜かす⇒クソガキ共も乗りたいという
⇒15時過ぎに入場したのでナイトフリーパスで何でも好きな乗り物に乗れる
⇒ココで我輩がジェットコースター怖いと言ってしまうと今後の尊厳に関わるという事で、
何も考えずに、そしてコイツがどういうシロモノであるかも説明せずに乗ることにしました。



いやー確かにね、初めの時点でジェットコースターが、
天空めがけてゆっくりと上がる時は怖かったですよ。
我輩高所恐怖症だから横見るとマジでウ◯コ漏らしそうになったもん。

でも落下してしまえば後はぐるんぐるん周ったり逆さまになったりするだけだし、
正直な話、「途中で止まりさえしなければどうということはない」事が判明しました。
我輩のジェットコースター嫌いは只の食わず嫌いだったわけですね。

さて、隣に乗っていた息子は終始超ノリノリだったんですが、
言い出しっぺの嫁とただ言われるがままに乗った娘は
「怖い!もう乗りたくない(迫真)!」の一言。

しかし諸君、よく考えてみたまえ、
日本で2番めにデカいジェットコースターに乗ったということは、
長島スパーランド以外のジェットコースターは
全て雑魚であるから余裕で乗れると考える事も出来るぞ(確信)。


その後、時速178kmで弾き飛ばされるという“ドドンパ”にも乗りたかったのですが、
嫁と娘はジェットコースター恐怖症に陥って何も乗りたくねぇと言いやがるし、
尚且つ少量の雨が降り注いできたために絶叫系は軒並み運行停止になるという。



その後は敷地内をブラブラしながら雨を避けたり、
運行しているライトなアトラクションに乗ったりしていたのですが、
この変な鳥居で写真を撮影していると可愛い2人組の女子が
「よかったら写真撮りましょうか、でもアタシ達の写真も取って下さい」と言ってきたので、
ご厚意に預かって家族写真を撮影してもらいました。



そろそろ暗くなり、晩飯の時間が迫ってきたので、
最後の〆に“ナガシマスカ”という吉六会の筋肉野郎みたいな名称の
ずぶ濡れ系アトラクションに乗ることにしたんですが、

正直な話、我輩的にはコイツの方がFUJIYAMAよりも怖かったわ!

ガッチリしていないボートに乗せられて水の上を揺らされながら進むこのアトラクション、
途中で水がかかるわ足元は浸水してくるわ不安定この上ないわでたまらんかった。
大体さ、我輩濡らすのは好きだけど濡れるのは好きじゃないんだよ。
でも一回ずぶ濡れになると気にならないもんなんだよね。



さて、今回の大誤算の一つ、それは富士吉田で宿泊すればよかったのに、
何を血迷ったのか富士宮に宿を取ってしまったこと。
我輩の記憶では山梨県の富士吉田から静岡県の富士宮までは
クルマで30分程度という認識だったのですが実は1時間以上離れていたんですね。

雨の富士の樹海を抜けて富士宮にたどり着き、
旅館でのチェックインを済ませたらすぐさま晩飯を喰らいにお出かけ。
10数年前に来た時の記憶を頼りに店を探し、入店。



何で我輩が富士宮市に泊まろうとしたのか、
ソレはこのB級グルメブームの火付け役?富士宮焼きそばを食うため。
硬いよーなコシがあるよーな独特の触感の麺と
ラードを絞った残りの肉かすが具に入った焼きそばは変な中毒性があります。



そしてもう一つ、静岡名物黒はんぺん。
一般的にはおでんに入ったものを食すのですが、
ココの店ではフライにしたものが出てきました。
これも独特の深みある味わいで旨し!

渋滞に巻き込まれたけど富士急も楽しみ、
静岡名物も食して素晴らしい2日目を終えたのでした。



8月3日 静岡⇒山口 遠すぎた錦帯橋
折角静岡に来たんだから富士山、逝かねぇと損だよなと思い、
富士山の5合目まで登ろうとしたのですが、
悲しいことに夏場は登山客が多く来るために
5合目に登る道は閉鎖されているんですね。




仕方がないので5合目に入る手前の駐車場に車を停め、
その広大な頂きを拝んでやろうと思いきや、雲が厚くて頂上見えねぇんでやんの。
とりあえず「富士山の途中までは来たよ」という既成事実だけ作って糸冬了。



富士山降りてくる途中で陸自さんが駆け足していました。
どうやら富士登山駅伝のための練習をしているようですが、
このガチムチ軍団、どこまで走ろうとしているのやら。
ほっといたら山頂まで駆け足しそうな勢いです。



前回の帰省時には新東名を走りましたが、
今回は海沿いのこの風景を見たいがために旧東名の方を走りました。
高速道路の脇に海があるこの風景、圧巻です。
10数年前、浜松に研修に来た時の感動が再び蘇ります。



昼飯は勿論、浜名湖SAで食します。
嫁が注文したのは由比名物、桜海老のかき揚げがついたうどん。
サクサクの桜海老のかき揚げ、旨し。
しかしうどんにしてはお値段高し。



我輩はココに来たらコイツを食らうのがお約束。
醤油味のパスタに浜名湖名物の鰻を散りばめた“うなスパ”。
好みで別添えのわさびマヨネーズをぶっかける。

味は・・・鰻の食感は醤油味のパスタとマッチングが良いわけでもないし
マヨネーズは鰻の味を引き立てずに1人で主張しまくっている。
不味いわけじゃないけど、絶品というわけでもなし・・・
ま、例えるならアブノーマルなプレイのよ~なもんですな。



やはりこういう場所では王道を往く“浜松餃子定食”を
注文するのがよろしいのかもしれませんが我輩は鰻が好き。
餃子が写真に写っていないじゃないかという批判は黙殺する。

しかし娘は餃子の味よりも「このもやしがイイね!」
マルシンのリボルバー並みに精度が低いコメントを発するのでした。



その後、前回は台風接近で通れなかった伊勢湾岸道路を通り、
ナガシマスパーランドを遠目に眺めながら
「次はあのジェットコースターに乗るぞ!」と家族に宣言するも、
「もうジェットコースターは乗らん!」と娘が反論。

さて、ふとカーナビを見てみると岩国まではまだ随分距離がある模様。
どうやら我輩は計画&計算間違いをしてしまったみたいです。
あーやっぱここは山口まで逝かずに広島辺りで一泊して、
広島のお好み焼きを食らう計画をたてるべきだったと今更ながら後悔。



結局晩飯は小谷SAにて尾道ラーメンを食らうことに。
正直我輩、醤油味のラーメンに期待はしていなかったのですが、
醤油のくせにパンチのあるスープに九州ラーメンみたいな細麺のラーメンは
予想を遥かに上回る味わい深さで見事なブツだったのです。

こりゃあいつの日か、尾道の美味しいラーメン屋で食わんとイカンと思わされるとともに、
「やっぱ宿泊先は広島にしとけばよかったかもしれん」と後悔。



結局、岩国の旅館に到着したのは22時前。
しかもこの旅館お値段安いけど(4人素泊まりで13000円)
昭和の風味がかなり濃い、要するにボロい旅館。

でもね、岩国名物錦帯橋は宿の直ぐ側という好ロケーション!

余談ですが我輩と嫁が初めて旅行した時に泊まった旅館もこういう感じで、
しかもその夜は初めて嫁のパンツに手を突っ込んで
ムチン(オクラや山芋に含まれるヌルヌル成分)出しながら盛り上がったんですね。

だからこういう昭和テイストの部屋って我輩、案外好き。



宿のチェックインを済ませたら疲れているにも関わらず夜の錦帯橋!
到着前の22時まで錦帯橋はライトアップされていましたが、
既にライトは消されてしまい、見事な橋の姿は見えません。

でも橋に足を踏み入れることは出来たので、
橋の入り口の料金ボックスにお金を入れて渡り、
重厚感溢れる木製の橋の感触を楽しんでまいりました。

その後部屋に戻り、途中のSAにて購入したもみじ饅頭、
略して“モミマン”を息子と喰らいながらこの日の夜は糸冬了。



8月4日 新富よ、我輩は帰ってきた!
朝起きると娘が「お父さん、もみまん美味しかったよ」と謎コメント。
本当は入っちゃいけなかったんでしょうがこの旅館、
「まずウチさぁ・・・屋上あんだけど・・・錦帯橋見ない?」ってな感じで、
屋上のドアの鍵が空いていたのでこっそり登って写真撮影。
いやーこの旅館、最高のロケーションだわ。



いやーしかし、九州が目前ということで朝だと言うのに暑い!
でも折角だから当初の予定通り、岩国観光を実施!

でも錦帯橋は昨晩暗闇の中でじっくり拝んだので(卑猥)、
岩国城を目指してリビドー号を走らせたんですが・・・
岩国城って城があるところまではロープウェイ乗らんとイカンのね。



そして城を眺め、下界の風景を眺め、
九州の方角を眺めながら「もうすぐ九州に帰れるんだな・・・」と
感慨深い気分になりはするもののソレはある意味、現実に戻される事。

ウチラの転勤時の移動って「出来る限り早く来い!」と言うわけではなく、
「必要な休息を取りながら、安全に留意して来なさい」って感じだから、
新しい職場に到着するまでのこの期間ってある意味フリーダムなんですよ。



城と岩国の風景を堪能した後、下界に降りると、
絶滅寸前の危機に至っている三菱ジープのバンが置いています。
しかし何やら、普通のクルマには付いていないものが付属。



実はこのジープ、木炭自動車なんですね。
よーするに薪ストーブ的エンジンが付いたクルマ。
木を燃やして走れるから山の中でガス欠になっても怖くない!

但し、薪しか使えないというわけではなくデフォルトのエンジンも付いていますし、
木炭で走ることも出来るという言わばハイブリット車なんですよ。
うーむ、そういう漢(おとこ)らしいワイルドなハイブリッド車なら我輩も欲しいぞ。
ただ、欠点が一つ、後ろのハッチが使えねぇ・・・だから3ナンバーなのか?



その後錦帯橋付近をブラブラしながらポケストップを回し、
色々と見て回りながらつかの間の自由を楽しんでいると
珍百景で紹介されたソフトクリーム屋さんがあるじゃないですか!

何やら100種類ぐらいのソフトクリームが置いているらしいですが、
どーせそのうちの半数はドラクエや妖怪ウォッチの怪物みたいに
色違いの名前違いバリエーションでしょう。
例えるならノアとVOXYとエスクワイヤみたいな感じ。



金って今のところ、グラム5000円ぐらいですよね。
ということはこの3000円の錦帯橋スペシャルには
どんぐらいの金粉がぶっかけられているんですかね?

インスタのネタにしてもコイツは我輩的にナシだなぁ。



結局ソフトクリームは買わずにかき氷と岩国寿司を買いました。
あ、アツアツで口の中火傷する牡蠣のクリームコロッケも買ったよ。



たとえ休憩する気がなくても、九州に入る前には壇ノ浦PAに寄るのがお約束。
そして関門橋を眺めながら「九州よ、私は帰ってきた!」と呟くの。
でも今となってはこの時ココを渡ってしまったがために
九州に縛られる運命になってしまったという気がせんでもない。

でもね、ココまで来たら目前と言いたいところなんですが、
下関から新富町まではまだ400km近くあるんですよね。




今回は東九州道が全線開通したと言うので大分側を通ります。
と言うのは適当な言い訳に過ぎず、
本来は一足お先に北九州に転勤したゴリラ一家とたっちゃん一家と合流するのが目的。
久しぶりの再開、って言っても2週間ぶりなんですがね。

その後皆でジョイフルに向かい、昼ごはんを食べ、
また遊びに来ることを誓いながら別れたのですが、
女が言う「機会があったら行くね」は絶対行かねぇの遠回しな言い方だよな?



椎田から高速に乗り、南下して宮崎を目指すリビドー号。
しかし大分松岡以降トイレと自販機だけのPAのすらも無い東九州自動車道。
その上佐伯ぐらいから1車線、磐越自動車道並に酷い高速道路だよココは。

折角だから西都まで行こうと思っていたんですがね、
結局途中でUNKOがしたくなったので、日向で降りてセブンイレブンに突入。
そして20時前ぐらいに懐かしの新富町の風景を目にした時、
「ああ、やっと元の生活に戻れる・・・」と感極まる思いだったのですが、
1年経過した今ではあの青森での6年4ヶ月がただ懐かしくて仕方がない。

でも一つ思ったことがありますね。
我輩の青森への転勤は間違いじゃなかったなと、ね。
だってこの転勤がなければ、こんな長距離の度は経験しなかった。  
Posted by 砥部良軍曹 at 12:08Comments(5)出来事