2014年03月01日

卒業って言葉を軽々と使うの、いい加減止めようぜ

3月といえば卒業のシーズンですね。
思えば我輩の卒業イベントはいつもグダグダ感のあるものばかりでした。
小学校の卒業式は知らないうちに過ぎてしまった感じでしたし、
中学校の卒業式は公立高校試験の合格発表前でしかも受けた学校が
我輩の成績でギリギリ受かるかどーかって感じの高校だったんで、
その結果ばかりが気になって卒業の喜びなんて微塵も感じられませんでした。

ま、結局公立は落ちて福岡空港の近所の私立の男子校に通う羽目になったんですがね。
もうね、公立の発表で我輩の受験番号が無いのを目の当たりにして
「あー我輩は今後女子との関わりがない人生を送るのか~」と絶望に陥りましたねw

そして高校の卒業式は大学受験に軒並み失敗して
今後の行き先も危ういっていうか、真っ暗な状況だったんで、
ヤケクソになって卒業生の見送りの時に少ない小遣い集めて購入した
当時革新的ブローバックメカニズムで一世を風靡した
MGCのグロック17を取り出して空に向けて何やら叫びながら乱射。


ま、結局その後受けた大学7校10学部全部落ちて浪人した挙句、
「我輩みたいなアンポンタンがが大学逝っても就職先ねぇだろーな」と思って
大学受験ショートカットして今の就職先に入社して現在に至る体たらく。
更に周囲に女子の居ない人生を送る羽目になったという話はどーでもいい話ですな。

そんな我輩も就職先の3ヶ月間の研修の卒業式はマジ泣きしました。
今まで自由奔放身勝手の馬鹿まみれの人生だったから、
朝6時の起床から22時の就寝まで束縛される研修での生活があまりにも辛すぎて、
その世界から開放されるという喜びとその苦しい研修期間を
共に過ごしてきた仲間たちとの別れが辛すぎて卒業式で初めて涙を流しました。
たった3ヶ月でしたが、今までの小中高の期間よりも濃密な人生の期間でした。

その後の社会人人生でも3回ほど何やら研修があり、
その都度課程期間の卒業を味わいましたが、
常に「あー早く現場復帰してぇ」みたいな気持ちだったんで卒業=ゴール的な
湧き上がる感情の昂ぶりを全く感じる事はありませんでしたなぁ。
あーでも27歳で逝った浜松での6ヶ月間の研修終了前に
同期の皆と卒業旅行で靖国神社に参拝した時は何かグッと来たなぁw


でもまあ、世間一般では卒業という言葉に随分感情移入したがる輩が多いみたいですが、
卒業という言葉を必要以上に美化して語りたがる風潮ってのは嫌ですなぁ。


まー歓喜極まる気分とか別れとか感情の高まりを感じる
卒業を経験した人ならそ~いう気分に浸るとか
卒業という言葉にグッと感じるものがあってもいいんでしょうが、
大半はその時が来たから卒業しただけのつまらねぇ人間なんでしょ?

そしてそーいう人間に限って“卒業”という言葉を
何かの締めくくりを表現するだけのために乱発したがる。


例えば子供が社会人になって親元を離れた時、
育児を終えたというニュアンスで親が「卒業」という言葉を使う。

コレはまあいいでしょう。子供がその後真っ当に人生歩むんならね。

でもその後も子供が親からの仕送り期待していたり、
住処もクルマも結婚相手も親頼みだったりするんならソレ卒業していねぇしwww

そう考えるとウチの両親は子育てまだ続行中ですなぁ。
未だに乳離出来ねぇ我輩みたいなバカ息子抱えた日にゃあ仕方ないね。

しかし、何かしらの理由でサバゲー辞めたとしてその行為を「卒業」という言葉で締めくくる。
その時に“太陽の牙ダグラム”の最終回でダグラム燃やすシーンみたいに
チーム員の前で手持ちのエアガン&迷彩服全部火つけて燃やすとかするんなら、
その締めくくりの行為はまさに卒業って雰囲気抜群ですが、
「最近ゲーム来ないね、どしたん?」
「ああ、オレ結婚してサバゲー卒業したから」ってな流れじゃあ、
「節子ソレ卒業ちゃう、中退や」でしょ???

こないだうちの嫁に「週末だからビールぐらい飲めば?」って言ったら、
嫁は「あ、私お酒は卒業したから」って返しやがったんですが、
貴女は酒に対して卒業っていう程の何かしたんですかって
嫁を小一時間問い詰めたらこのメス豚かなり不機嫌になりやがりました。
因みに我輩は酒に対しては現在休学中ですが、いつになったら再開するのやらw

話が横道にそれますが肺癌発覚して煙草を止めざるを得なくなった父上の場合は、
間違いなく「卒業」ではなく「中退」ですね。そこは本人も認めるところでしょう。
いや、時期が来たがために卒業させられてしまったと考えるのが妥当でしょうか?


他にも似たよーなニュアンスで何かを辞めた時に気軽に
卒業って使いたがる脳みそが軽い人間が多いでしょ?
ソレって何?80年代~90年代の昭和歌謡に感化されすぎな流れ?

卒業ソングは確かに心に響く曲が多くて我輩も嫌いじゃねぇですが、
常に人生中途半端な我輩は有終の美を歌う卒業ソングよりも
「突然ですが退学します」というフレーズが響く森川美穂さんの“教室”って曲の方が好き。

え?森川美穂知らん?ナディアの歌の人だよ。

まあそんな我輩的な好みの話はどーでもいい。
余談だが我輩的に至高の卒業ソングは山口百恵さんの“いい日旅立ち”だ。
(谷村新司さんのいい日旅立ちは卒業という雰囲気とは少し違う気がする)
そして我輩の人生は卒業よりも退学とか休学のほうが多いよーな気がするのもどーでもいい。

とにかく我輩が声を大にして言いたいのは
おめーら愚民共は「卒業」という言葉を己が今までしてきた事を
中断した行為に対して使うなって言いたいんです。

言った本人的には締めくくった感バッチリな気分で使うんでしょうが、
大抵は締めくくりもせずにそのままフェードアウトしているだけっしょ?

大体ねぇ、卒業ってぇのは何かしらの過程を成し遂げた人間に対して、
その行動を見届けた側が敬意を評して贈るものであって、
自分自身が勝手に言い張って締めくくるもんじゃねぇんだよ。

響きの良い言葉を無理やり引用して己の人生美化するために
間違った言葉の使い方をするのは辞めてくれって言いたいですわ。

そしておそらく“卒業”という言葉を気軽に使いたがる奴は多分理解していないはず。
卒業したらその場所にはもう戻れないんだぜ。
だってそうでしょ、学校卒業したらもうそこに自分の居場所はないんだよ。
卒業という言葉には完了とか終了の意味以上に、
“決別”というニュアンスが強く込められているんですよ。

「さらばやさしき日々よ、もう戻れない、もう帰れない」

全てを締めくくって綺麗に終え、もうその世界に対する悔いはない、
もう引き返すこともないだろうと完全に悟った時、
ソレこそが己自身が己に対して与える卒業なんです。
今後卒業という言葉を人生の何処かで使う時は、その辺よーく覚悟しとくよーに。

タグ :哲学

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Posted by 砥部良軍曹 at 11:11│Comments(2)演説
この記事へのコメント
全て卒業するのは人生を終わるときではないかネー

儂らは婆さんが亡くなるまで子育てして貰ったから俺たちもこの世から居なくなるまで子育てを続けようと思っているよ。

それが次世代に残してやれる事だから。
それ以上に財産を残せてやれれば言うことはないだろが子孫のために美田を買わずどころかその金も使い果たしてるから。
それを盾にしてオレオレ詐欺がはびこってるわけよ。

せめて子供がいくつになろうと子育てぐらいは続けてやらんと・・・・・
要はオレオレ詐欺の被害にかからんようにして出来ることをやってやるだけさ。
儂らのところに「俺れ俺」なんて言ってきても出せるものがないから心配はないがねー。
身体も痩せすぎているから、もしかしたらもう鼻血も出らんかもねー

煙草は休学中です。
余命何ヶ月と言われたらケツから煙が出るほど吸ってやるつもりだぜ。
Posted by 骨董屋の親父 at 2014年03月07日 00:57
>骨董屋の親父様
父上をインスパイアしながら生きている我輩としては、
余命幾許もない状態で哀れな姿をさらけ出すぐらいなら
思う存分紫煙を燻らせながら漢(おとこ)の生きざまを見せて頂きたい。

人生において“卒業”という言葉を清々しく使うためには、
それぐらいの覚悟が必要だと思います。

我輩も子供に対して「そろそろ親から卒業しろよ」なんて
逃げの弱音を吐かずに死ぬまで保護者としての使命を果たしてこそ、
親としての“卒業”を全うできるものだと思いますので、
今後とも子育てという苦難の道を歩み続ける覚悟です。
Posted by 伍長閣下伍長閣下 at 2014年03月10日 13:26
 
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卒業って言葉を軽々と使うの、いい加減止めようぜ
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