2017年01月01日

おせちの哲学

毎回3度の飯(以下略)をご覧の同志の皆様、
唐突ですが正月におせち食いましたか?




我が家は一応、毎年嫁がおせちらしいものは作ってはいますが、
我輩自身は案外おせちなんかどーでもいいって思考です。

でも今年は実家に帰った時に母上が作ってくれた数の子とがめ煮、
そして黒豆と栗きんとんがあったんでソレらを持ち帰って詰めて糸冬了。

ぶっちゃけ、おせちの基本的なメニュって積極的に食うもんですか?
我輩はどーしても喰いたいのは黒豆と栗きんとん(栗含有量が高いものに限る)と、
蒲鉾(弾力があって味わい深いものに限る)ぐらいでしょうかねぇ


数の子も好きではありますが、だし汁に浸けたお約束のものよりは、
青森で昆布やスルメと絡めて漬け込んだ松前漬けにハマって以来、
「数の子の旨い食い方はコレが最強なんじゃね?」という
思考に切り替わってしまいましたが九州には松前漬け無いもんなー。

福岡の三越や大丸のデパ地下探してみたけど、見当たらなかったわ。
ああ、来年からは松前漬け自作してみるか。

余談ですが松前漬けに大根の漬物が入った“ねぶた漬け”は
食塩含有量が高すぎてご飯と食うには美味ですが単品で食うとしょっぱい。

他におせちに入るものとしてお約束のものとしましては
田作り、たたき牛蒡、紅白なます、煮しめ(福岡では“がめ煮”)、
鯛や鰤みたいな縁起のいい魚の焼き物とかを入れるのが定説ですが、
正直な話、そんなに色々必要じゃねぇし食わねぇよね。
がめ煮は嫌いじゃないですが、そげん沢山食わんでもよか。

話は横道に逸れますが、我輩のじいちゃんが正月に作ったがめ煮は旨かった。
アレより旨い煮物は今まで味わったことがないし、今後も無いんだろうなぁ・・・(遠い目)

我が家では前々から「1回ぐらいデパートとか美味しい料理屋さんとかで
おせちを注文してみようか?」
なーんて考える事も無いわけではないのですが、
マッキーの赤マジックペン握りしめておせちの見本の写真を見ながら
喰いたいものにマルを付け、要らないものにバツを付けると大抵の場合バツの割合率が多い。

つまり別に食わなくてもいいものしか無いという現実に陥るのです。

そんな事言ってると「好き嫌いせずに、なんでも食べなさい!」と言われそうですが、
嫌いなこと、好ましくない事ばかりやらざるを得ないこの人生、
せめておせち料理ぐらいは好きにしたいじゃないかというのが心情だと思う。

でもおせち料理とか幕の内弁当の中に「コレ、何故に入れた?」と
思うよーなモノが必ずと言うか、ほぼ確実に入っている理由は、
「世の中、好きなことばかりやっていても駄目なんだよ」という人生の縮図というか、
教訓的なものを具現化しているからなのでしょうかね?


ウチの嫁は前前前世が鯛だったらしく必ずおせちの中にエビを入れたがるんですが、
毎回嫁の作るエビ料理は微妙を飛び越えてエビが可哀想になるレベルなので、
「そんなにエビを不味く料理したら、エビは死んでも死に切れんぞ!」
「もし貴様の来世がエビになって、そんな悲惨な姿にされたらどんな気分だ!」と、
罵声を浴びせるけど状況が変わることがないというのが我が家の大晦日の風景。

しかしながらおせちのエビには「腰が曲がるまで末長く生きる」と言う
意味が込められているからエビに拘る嫁の姿勢は否定する訳にはいかないのです。

でもね、エビっておせちの概念が出来た頃には一般的な食材だったのかな?
今でこそ東南アジア産の養殖エビがスーパーに毎日並んではいるけど、
「おせち料理ウッハァー!」なんてほざいていた時代に普通に並んでいたのだろうか?
まあ、昔の人も正月はハレの日と言う事で奮発して購入していたのかなと言う事にしときましょう。

ところでおせち料理っていつ頃から食われるよーになったんでしょうかねぇ?
調べてみたらおせちの概念自体は弥生時代には存在していた模様。

当時の人々は作物の収穫を季節ごとに神様に感謝し生活の節目をつけ、
自然の恵みや収穫に感謝して神様に供えたものを「節供(せっく)」と呼ぶようにした。
そしてその時、供えたものを料理して大漁や豊作を願い、
自然の恵みに感謝して食べた料理を「節供料理」と呼ぶようになった。

この「節供料理」がおせち料理の始まりとの事。

その後、(いつ頃からかは不明)宮中で元旦や五節句の宮中行事の際に、
節会(せちえ)と言われる宴が催されるようになり、
節会で神様に供えたり振舞われた料理が御節供(おせちく)と呼ばれた。

そして時代が流れ、江戸時代になると庶民にもこの習慣が広がり、
御節供が一般的なものとなって今に至るというわけですな。
江戸時代後期ぐらいに今のおせちの原型的なものが具体化してきたようです。

因みに、御節供(おせちく)を“おせち”と略するよーになったのは、
戦後おせち料理をデパート等が商品化する際、
“おせちく”と言い辛いので“おせち”と呼ぶようにしたみたいなのですが、
そこら辺について言及している記載があまり見つからないのでソースは不明。

ところでこのおせちに入る料理の数々には、いろいろな意味が込められています。
数の子は子宝に恵まれるようにとか、黒豆はマメに生きるとか、
昆布巻きは「よろこぶ」だとか、ゴボウは深く根を張るから安泰を意味するとか、
栗きんとんは見た目が黄金っぽいから金運に恵まれるとか、
伊達巻は巻物に似ていることから「学問成就を願う」とかね。

上記のようにとにかく、こじつけ的な物が多いのがおせち料理の特徴なのですが、
コレはおせち文化が貴族から武士や庶民の社会にシフトした際、
縁起とか験担ぎに拘りを持つ武士の思想から来たものなのでしょうかね?
御節供が宮中の儀式だった頃の料理は一般的に知られる
おせち料理のソレとは大分かけ離れたものだったみたいです。

とはいえ、おせちがおせちである為には、
今後新しくおせちの中身の食材を増やすとなると、
おせちらしいこじつけが必要になると考えてもよろしいわけでしょう。


例えば、おせちにカニを入れる理由は「ハサミでガッチリ異性をキャッチ!」とか、
ローストビーフやミートローフは「ニクいね」とか、刺し身は生々しく生きるとか、
松茸は「巨根になりますよ~に」とか・・・あ?普通松茸はおせちに入れねぇか?
じゃあローストチキンは「世界に羽ばたけ!」いや、チキンの羽じゃあ飛べないか?
ウナギって正月料理に入れてもイイような気がするけど、駄目?

最近はおせち料理も多種多様で、洋風なものとか、中華風だとか、
唐揚げとかエビフライとかハンバーーグとかフルーツ盛り合わせとかが入っていて
「節子ソレちゃう!オードブルや!」みたいなのもありますが、
料理は時代の流れ&その時代の嗜好に合わせて変化するものだから仕方ないね。

我が家は今後もおせちはてめぇらが喰いたいものだけをブチ込んで、
それを楽しむというスタンスでやっていくのに変わりはないでしょうし、
正月の本質が昔に比べたら変化しすぎてしまった現在、
子供に対して「おせちっつーモンはこういうものなのだよ!」と
昔のお約束を強いる必要もないのかなと考える次第。

ただやっぱり、正月というハレの日を祝うという意味を込め、
おせちという形で正月料理を作るという姿勢は必要だと思います。
ま、結論といたしましては「正月ぐらい旨いもん食いてぇ」と言う事で。


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Posted by 砥部良軍曹 at 10:38│Comments(0)めし演説
 
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