2015年12月18日
ここは日本ですよ
こないだ、夫婦同姓の件についての最高裁の判決が出ましたね。
まあ、安定の「合憲」の判断でした。
次回の裁判官国民審査では今回違憲と判断した裁判官にバツを付けてやろうw
日本という国は本来“家”というものを守り継ぐという思想で
生活や文化が形成されてきたという歴史があるから
夫婦が同姓であることは当然の流れであるはずです。
しかしそれ以前に日本では夫婦が同姓である理由には重要な意味があります。
それは「嫁は子供を生むだけの道具ではない」という意味合い。
そして「夫婦で築き上げたものは互いのものである」という考え方。
近代化を念頭に置き、明治以前の野蛮な思想から離脱するために、
夫婦同姓という決まりが出来たのであると我輩は考えるのです。
だから基本は銭を稼いで“家”を築き上げる礎となる旦那側の姓を
嫁が名乗るというのが定番となっておりますが、
嫁の家の方がベースがデカイ場合は嫁の姓を名乗る事になるわけですね。
でも何よりも夫婦が同姓である必要性、
それはやはり「子供の姓はどーするのか?」という
譲れないデカい問題があるからでしょう。
仮に日本で夫婦別姓が認められたとしても、
親父と苗字が違う子供って暫くは疑惑の眼差しで見られると思いますよ。
「本当にあの子は旦那の種から出来たのかしら?」ってねw
ま、結局、夫婦同姓が日本で永く根付いた決まりであると同時に、
文化としての一面も持ち合わせている感がある以上、
日本人の大半は夫婦別姓について不自然感を感じることでしょう。
しかし夫婦同姓に反対を唱える連中の大半が
「海外では夫婦別姓が常識!」なーんて言ってるみたいなんですけどね、
そーいう連中った確実に海外では息をするレベルで常識である集団的自衛権を
意地でも認めたくない連中のよ~な気がするのは気のせいではない模様です。
海外では常識だから日本でも認めろという考え方は、
海外の他の常識も勉強した上で認めてから、どうぞ。
確かに、昔は大抵の先進国(主に西側)は夫婦同姓が義務となっておりましたが、
今の御時世で夫婦同姓じゃないとイカンよと言っているのは
地球規模で見ても日本だけになってしまいましたので、
世界の常識から取り残された感が拭えない部分もあるかもしれません。
でも、我輩的には夫婦同姓を義務付けるという日本の方針は、
日本という小さくて資源も少なく、国力の伸びに限界もあり、
たった1億程度しかいない日本人という人種が住む国の
アイデンティティを守るために必要不可欠であると思うのです。
ま、世界中が夫婦が別姓でも構わんよと言っているにも関わらず、
夫婦同姓でもいいんじゃねって言う考え方もあるというところには、
嫁が旦那の姓を名乗るということに関して家族の一体化を感じたいからでしょう。
それと、子供にどちらの姓を名乗らせるかという問題に直面した時、
やはり夫婦は同姓であるほうが望ましいと考えるのでしょう。
家族が同じ名字を名乗ることで家族の一体感が生まれるのです。
因みに夫婦別姓の国の中には「旦那の姓を名乗らなくてもいい」ではなく、
「旦那の姓を名乗ってはいけない」という国が結構あるという事実も認識しとくべし。
そしてそーいう国は大抵「女性の人権がない国」であったりするのです。
有名なところでお隣の半島の国や大陸の国ね。
そして恐らく、日本で夫婦別姓を叫んでいる連中の大半は、
そーいう連中の片棒を担いでいる非国民か、
日本人になりすましているそーいう国の人種なのでしょう。
だって夫婦別姓を唱える連中の言い分の大半は、
子供のわがままレベルの言い分しか持っていないんですからね。
或いは、家族というものがどういうものであるかを理解していない思考。
大体さ、「夫の名字に合わせなきゃいけなくて精神的苦痛うけた」って意味解らん。
そ~いうんならハナから結婚なんかするなってまったく。
ま、恐らく日本で夫婦別姓を唱えている連中は、
姓を曖昧にして日本の“家”という思想を破壊することで、
日本という国を滅茶苦茶にしたいだけなんじゃないのかって思います。
我輩的に嫁が旦那の姓を名乗りたくないというシチュエーションは
結婚する相手の苗字が“草井”で、嫁になる人の名前が“満子”であるという
トベラチックな状況でしか発生しないはずなんです。
まあそれ以前に、結婚する相手が旦那側の姓を名乗りたくねぇって
言い出した時点で結婚しても色々と問題が生じて
確実に関係は長続きしねぇ事態は確実であると考えられます。
そしてそういうわがままな人間が多く存在する国が
倫理的に、平和的に長続きできるのかと問われると、
察しの良いウチの常連の方々は結論を語らずとも答えは出てくるはずです。
やはり日本は世界的に不思議だと言われようとも、
夫婦同姓が自然な方向性であると思うのですよ。
ま、我輩はたまに書類に画数の多い自分の名前書くのがダルくなって、
「やっぱ簡単に書ける嫁の姓にしとけばよかったかな?」と多少思うことがあります。
まあ、安定の「合憲」の判断でした。
次回の裁判官国民審査では今回違憲と判断した裁判官にバツを付けてやろうw
日本という国は本来“家”というものを守り継ぐという思想で
生活や文化が形成されてきたという歴史があるから
夫婦が同姓であることは当然の流れであるはずです。
しかしそれ以前に日本では夫婦が同姓である理由には重要な意味があります。
それは「嫁は子供を生むだけの道具ではない」という意味合い。
そして「夫婦で築き上げたものは互いのものである」という考え方。
近代化を念頭に置き、明治以前の野蛮な思想から離脱するために、
夫婦同姓という決まりが出来たのであると我輩は考えるのです。
だから基本は銭を稼いで“家”を築き上げる礎となる旦那側の姓を
嫁が名乗るというのが定番となっておりますが、
嫁の家の方がベースがデカイ場合は嫁の姓を名乗る事になるわけですね。
でも何よりも夫婦が同姓である必要性、
それはやはり「子供の姓はどーするのか?」という
譲れないデカい問題があるからでしょう。
仮に日本で夫婦別姓が認められたとしても、
親父と苗字が違う子供って暫くは疑惑の眼差しで見られると思いますよ。
「本当にあの子は旦那の種から出来たのかしら?」ってねw
ま、結局、夫婦同姓が日本で永く根付いた決まりであると同時に、
文化としての一面も持ち合わせている感がある以上、
日本人の大半は夫婦別姓について不自然感を感じることでしょう。
しかし夫婦同姓に反対を唱える連中の大半が
「海外では夫婦別姓が常識!」なーんて言ってるみたいなんですけどね、
そーいう連中った確実に海外では息をするレベルで常識である集団的自衛権を
意地でも認めたくない連中のよ~な気がするのは気のせいではない模様です。
海外では常識だから日本でも認めろという考え方は、
海外の他の常識も勉強した上で認めてから、どうぞ。
確かに、昔は大抵の先進国(主に西側)は夫婦同姓が義務となっておりましたが、
今の御時世で夫婦同姓じゃないとイカンよと言っているのは
地球規模で見ても日本だけになってしまいましたので、
世界の常識から取り残された感が拭えない部分もあるかもしれません。
でも、我輩的には夫婦同姓を義務付けるという日本の方針は、
日本という小さくて資源も少なく、国力の伸びに限界もあり、
たった1億程度しかいない日本人という人種が住む国の
アイデンティティを守るために必要不可欠であると思うのです。
ま、世界中が夫婦が別姓でも構わんよと言っているにも関わらず、
夫婦同姓でもいいんじゃねって言う考え方もあるというところには、
嫁が旦那の姓を名乗るということに関して家族の一体化を感じたいからでしょう。
それと、子供にどちらの姓を名乗らせるかという問題に直面した時、
やはり夫婦は同姓であるほうが望ましいと考えるのでしょう。
家族が同じ名字を名乗ることで家族の一体感が生まれるのです。
因みに夫婦別姓の国の中には「旦那の姓を名乗らなくてもいい」ではなく、
「旦那の姓を名乗ってはいけない」という国が結構あるという事実も認識しとくべし。
そしてそーいう国は大抵「女性の人権がない国」であったりするのです。
有名なところでお隣の半島の国や大陸の国ね。
そして恐らく、日本で夫婦別姓を叫んでいる連中の大半は、
そーいう連中の片棒を担いでいる非国民か、
日本人になりすましているそーいう国の人種なのでしょう。
だって夫婦別姓を唱える連中の言い分の大半は、
子供のわがままレベルの言い分しか持っていないんですからね。
或いは、家族というものがどういうものであるかを理解していない思考。
大体さ、「夫の名字に合わせなきゃいけなくて精神的苦痛うけた」って意味解らん。
そ~いうんならハナから結婚なんかするなってまったく。
ま、恐らく日本で夫婦別姓を唱えている連中は、
姓を曖昧にして日本の“家”という思想を破壊することで、
日本という国を滅茶苦茶にしたいだけなんじゃないのかって思います。
我輩的に嫁が旦那の姓を名乗りたくないというシチュエーションは
結婚する相手の苗字が“草井”で、嫁になる人の名前が“満子”であるという
トベラチックな状況でしか発生しないはずなんです。
まあそれ以前に、結婚する相手が旦那側の姓を名乗りたくねぇって
言い出した時点で結婚しても色々と問題が生じて
確実に関係は長続きしねぇ事態は確実であると考えられます。
そしてそういうわがままな人間が多く存在する国が
倫理的に、平和的に長続きできるのかと問われると、
察しの良いウチの常連の方々は結論を語らずとも答えは出てくるはずです。
やはり日本は世界的に不思議だと言われようとも、
夫婦同姓が自然な方向性であると思うのですよ。
ま、我輩はたまに書類に画数の多い自分の名前書くのがダルくなって、
「やっぱ簡単に書ける嫁の姓にしとけばよかったかな?」と多少思うことがあります。
Posted by 砥部良軍曹 at 02:41│Comments(4)
│演説
この記事へのコメント
ニュースでうるさいので思い出してみたんですが、結婚して姓が変わると、確かにてつつは面倒です。
口座、カード、各種アカウントの名義変更。
細かいところでは印鑑買い直しとか。
でも、ぎゃーすか騒ぐほど大した手間じゃないし、離婚しないならその手続きは一回こっきり。
仕事上不都合があるなら仕事は旧姓で通せばいいだけです。わたしなら別姓は選びません。子供の事もあるし。
でも、夫婦別姓を選択できてもいいと思ってます。
だってどこぞのポスターみたいに、アレな人の目印になって便利ですよ、きっと。
口座、カード、各種アカウントの名義変更。
細かいところでは印鑑買い直しとか。
でも、ぎゃーすか騒ぐほど大した手間じゃないし、離婚しないならその手続きは一回こっきり。
仕事上不都合があるなら仕事は旧姓で通せばいいだけです。わたしなら別姓は選びません。子供の事もあるし。
でも、夫婦別姓を選択できてもいいと思ってます。
だってどこぞのポスターみたいに、アレな人の目印になって便利ですよ、きっと。
Posted by 4号の嫁 at 2015年12月18日 19:14
>4号の嫁殿
まー確かに、嫁側としては結婚後の名義変更('A`)マンドクセでしょうね。
でもソレが('A`)マンドクセって思う輩は
人生で何回結婚する予定なのかと問い詰めたいwww
(逆の意味では人生で何回離婚する予定なのかと?)
ま、夫婦別姓望んでいる輩はアレな輩であるという事実が
判明したいい機会でもりましたね、今回の一件は。
まー確かに、嫁側としては結婚後の名義変更('A`)マンドクセでしょうね。
でもソレが('A`)マンドクセって思う輩は
人生で何回結婚する予定なのかと問い詰めたいwww
(逆の意味では人生で何回離婚する予定なのかと?)
ま、夫婦別姓望んでいる輩はアレな輩であるという事実が
判明したいい機会でもりましたね、今回の一件は。
Posted by 砥部良軍曹
at 2015年12月20日 11:53

そう言えば随分前、同級生が結婚するときに嫁になる女性の名前が「ふきこ」で旦那の性が「ほら」続けると「ほらふきこ」になるから嫁の姓を名乗ったなどと言うことがラジオに流れていました。
これは単なる都市伝説だったのかどうか判りませんが実際どうだったんでしょうかねえ?
日本が誕生して以来、日本人の姓氏が「源・平・藤・橘」に納まると言われていました。
これも現代では無くなってきました。
それでも、旧態依然としているのは藩閥政治時代の区切りが未だに存在しているからかも知れません。
家を重要視してきた日本の歴史的な経過は決して悪ではないと思います。
粉糠3合持っているなら養子に行くなと言う言葉もありますが、現代ではその言葉も死語になりました。
どちらの姓氏を選ぶか自由に選択できるのですから別性にする必要もない気がします。
それに通称名で通すことも出来るわけですから何の問題もありませんよね。
これは単なる都市伝説だったのかどうか判りませんが実際どうだったんでしょうかねえ?
日本が誕生して以来、日本人の姓氏が「源・平・藤・橘」に納まると言われていました。
これも現代では無くなってきました。
それでも、旧態依然としているのは藩閥政治時代の区切りが未だに存在しているからかも知れません。
家を重要視してきた日本の歴史的な経過は決して悪ではないと思います。
粉糠3合持っているなら養子に行くなと言う言葉もありますが、現代ではその言葉も死語になりました。
どちらの姓氏を選ぶか自由に選択できるのですから別性にする必要もない気がします。
それに通称名で通すことも出来るわけですから何の問題もありませんよね。
Posted by 骨董屋の親父 at 2015年12月20日 19:23
>骨董屋の親父様
結局、今の法律でも話し合い次第で姓なんか旦那のでも嫁のでも
好きなの選べるんですから反対派の言い分は少しおかしいんですよね。
日本に住む以上、日本の文化は守り続けるのが当たり前です。
ソレをどうこう言う輩は日本人じゃない恐れがあります。
因みに草井満子は中学時代の友人、輝のネタ。
結局、今の法律でも話し合い次第で姓なんか旦那のでも嫁のでも
好きなの選べるんですから反対派の言い分は少しおかしいんですよね。
日本に住む以上、日本の文化は守り続けるのが当たり前です。
ソレをどうこう言う輩は日本人じゃない恐れがあります。
因みに草井満子は中学時代の友人、輝のネタ。
Posted by 砥部良軍曹
at 2015年12月21日 00:03
