2016年09月08日

リア充?否!それが哲学!?

ウチの馬鹿息子、こないだ始業式で学校デビューしたにも関わらず、
既に何人か友達が出来た模様。
しかも、男子のみならず女子の友達までもいるというのだから何というリア充っぷり。
息子は本当に我輩の子供なのだろうかと言う疑問の前に、
息子のコミュ力の高さに唖然としております。


青森にいた時もそうでしたが、息子は学校の昼休みは野郎と絡んでいたようですが、
帰宅後は何故かおなごと遊ぶ事が多く、同じ社宅の同級生のみならず、
近所に住んでいるおなごが遊びに誘いに来るということも多々ありました。


だからと言って仲良く手を繋いで公園に遊びに逝くというわけでもなく、
ただ一緒に遊びに逝き、遊具で淡々と遊ぶだけ。
何度か息子と女友達との絡みを拝見したのですが、
その光景はリア充とは程遠くはないけど充実感を感じない風景でした。

息子は自らの意志でおなごと距離を縮めているのか?
それとも、おなごの方が息子に寄り付く理由があるのか?
何故に野郎の友達よりも、おなごを優先しているのか?


青森にいた頃、風呂場で腹を割って話を聞かせてもらったところ、
息子は人の質問を完全無視しやがって逆に質問を投げかけてきました。
「男の友達と女の友達、どっちが重要なんだろうね?」

そしてその質問に対して我輩が答えを導き出すよりも早く、こう言います。
「遊びが合うのは男なんだけど、話が合うのは女なんだよ」
「男と話をしていてもオレは◯◯をやっているからどーとか、
◯◯を持っているから何だとか、◯◯したことがあるだとか、
自慢話ばかりで面白くないし、為になる話がないから不愉快になる」
と。

確かに、野郎と言う生き物は大半が自分語りしか出来ない人種です。
いい歳こいても口を開くと自慢話か武勇伝しか出来ない人間は少なくありません。
何人の女と付き合ったとか、いいクルマに乗っていたとか、
貯金や資産がどれだけあるとか、こんな凄いコレクション持っているとか、
有名人や偉い人と知り合いだとか、仕事やスポーツでの実績等々。

そして自慢出来るモノが無いしょーもない人生を歩んで生きてきた野郎は、
架空の伝説をでっち上げて自分を飾り立てて悦に入る者も居るようです。

息子はそういう面白くない話をする人間がどうもお嫌いのようです。
まあそういう話しかできねぇ人間は普通に面白く無いんですが、
そういう思考はもう少し大人になってから感じるものかもしれないのに
年齢一桁にして既にそういう思考に陥るとは、何なんでしょうかねぇ?

でもね、女の会話も決して面白いものではないですよね?
だって女の会話の大半は「私は〇〇なんだけど、あなたはどう思う?」的な同意を求めるものや、
「今〇〇に興味があるの」的な野郎とは違うベクトルの自分語りが大半だからですからね。

でも小学校低学年の女子の会話はそんな陳腐なものではないらしく、
息子的には野郎の会話に対して「ふーん、凄いね」と答えるよりは
おなごの会話に対して「ふーん、成程」と答える方がいい模様。
しかし実際、息子的にもおなごと絡むのは容易では無いらしく、
会話や嗜好の相違とかで衝突も多々あるようでそれが前述の質問に繋がったのでしょう。

さて、野郎の友達とおなごの友達、どちらを重視すべきかという疑問に対する回答として、
我輩が導き出したのは勿論「おなご優先で逝け!」
いや別に、助平心からそう言ったわけではないですよ。

野郎としか付き合わずに生きていると人生の価値観が
持っている持っていない、凄い凄くない、偉い偉くないといったような、
勝った負けたの比べ合い、意地の張り合いになると思うんですよね。

でもおなごとの付き合いが若い頃からあればそういう価値観に囚われずに、
別の視点で物事を見つめることが出来るでしょうし、

何よりも有利な点は「この先の人生でおなごが欲しくなった時の練習になる(確信)」

どーせ息子も中学生ぐらいになれば自然の摂理に伴って
おなごとの付き合いを欲するようになるんでしょうから、
今のうちからおなごとの付き合い方をある程度学ぶために
おなごの友達を優先して作った方がよろしいと考えたわけです。

リーダーと野獣先輩の間柄のように趣味とか嗜好に対してお互いを認め合い、
尚且つ自身を高め合う事が出来る同姓の友人が居れば、
それが一番幸せな人生なのかもしれませんが世の中そう上手くは行きません。

まあそういう精神的に充実した友人関係は
社会人以降にならないと構成するのは難しいでしょうからね。

我輩自身、小学2年ぐらいまではおなごとの絡みもあって、
ニュートラルな人生を歩んできていたのですが、
それ以降の人生では野郎と絡む方が気が楽であると感じるようになり、
気がついたらおなごに接近する術を失ってしまい、
高校時代に男子校に通う羽目になったこと&その後野郎だらけの職場に入った事を差し引いても
結局27歳になるまでおなごを知らないまま人生を歩む羽目になってしまいました。

息子は己の信念に基づいた結果リア充化を目指していたわけでなく
己の気分が良い方向を求めた結果、現在の状況にたどり着いたのでしょうが、
考えるより感じることでそのような流れに結びつけた息子の神経を素晴らしく思いますし、
今後も周りの空気に流されない考え方を持って生きていて欲しいと願います。

余談ですが娘の方は相変わらず野郎の友達は居ないようですが、
女の場合は必要性を感じた時に野郎を求める思考があるでしょうから、
暫くは何もせずにそっと見守っておくことにしましょう。
まあそれ以前に、我輩自身がおなごとの絡みがなかったんで、
娘にそういう質問をされても困るんですがね。


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Posted by 砥部良軍曹 at 21:30│Comments(0)演説
 
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